「自分にできることを」―能登の未来へ繋ぐ、官民連携による復興支援

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中橋さん、糸井さん
2024年1月1日に発生した能登半島地震から約2年。官民の力を掛け合わせた復興に向けた歩みが着実に進んでいます。中外製薬は、復興には長期的な支援が不可欠であると考え、2025年7月から「能登官民連携復興センター」へ1年ごとに社員を派遣しています。今回は、復興支援の最前線で実務をリードする中橋さん(同センター 事業推進部門マネージャー)と、当社のMR(医薬情報担当者)から手上げで派遣制度に応募し能登の復興助成事業を推進する糸井にお話を伺いました。

「能登のために」共鳴する二人の想い

能登官民連携復興センター(以下、のとれんぷく)は、被災地の支援ニーズと全国からの支援をつなぐ「中間支援組織」として、寄付金を元にした復興事業の助成などを行っています。

 

東海・北陸エリアでMR(医薬情報担当者)を経て、希少疾患領域製品の適正使用の推進に向けて医療現場に向き合ってきた糸井には能登に対する強い想い入れがありました。「私の祖父母は輪島で被災しました。しかし、発災当時は自身の担当業務への責任もあり、物理的な道路の寸断も重なってすぐに現地に向かうことができず、何もできなかったんです」糸井は当時を振り返ります。被災地には資金があっても、それを実際に動かす「人」や「問題解決のプロセスなどのノウハウ」が圧倒的に足りていない現状を知り、「自分にできることをしたい」という強い使命感から派遣に応募しました。「応募にあたっては、上長や職場、関係者の皆さんに強く背中を押してもらいました。挑戦を後押ししてくれる文化が中外製薬には根付いていると実感しました」

 

のとれんぷくで復興事業の実務を牽引する中橋さんもまた、強い想いを抱いてこの地にやってきた一人。発災直後、県庁内に編成された臨時対策チームで対応にあたったものの、一度は元の職場に戻ることになりました。「能登のためにもっとやりたい」その抑えきれない想いが通じ、同センターへ着任したのです。

「何もできなかった」後悔を胸に現場へ飛び込んだ糸井と、「もっとできることはないか」と熱意を燃やし再び能登へ戻ってきた中橋さん。立場は違えど、能登を想う同じ使命感に突き動かされた二人が、復興の最前線で出会い、共に歩み始めました。

 

現場で糸井を待ち受けていたのは、全国からの寄付金を原資とする10数億円規模の助成事業を動かす前例のない日々でした。派遣当初は管理業務部で助成を適切に行うためのガイドライン策定などの基盤を構築し、現在は中橋さんと同じ事業推進部門で能登復興支援事業の二次公募の募集や審査に向けた事業計画策定の伴走支援を担っています。被災地の現場で復興に向けて奮闘する事業者たちの熱い想いに直接触れるからこそ、「本当だったら応募者全員の申請が通ってほしい」と強く思う一方、支援終了後も事業が自立して継続できるかという中長期的・持続的な観点から、時には助成対象外という審査結果を出さなければならない葛藤もありました。

事業者や審査員など、異なる視点を持つ人たちと向き合っていく場面において、「中外製薬でMRとして医療関係者と接する中で培ったコミュニケーション力や、相手の立場や視点を想像して言葉を選ぶ経験が、今の現場で生きていると感じます」と、糸井はこれまでのキャリアが大きな支えになっていると語りました。

「能登のいま」――見据える「創造的復興」

能登

発災から2年あまりが経過し、地震で最大42路線となった県管理道路の通行止めは、4路線を除き解消されるなど、インフラの復旧は進んできた。一方で、農業や漁業など生業の再建を含め、元の生活に戻れていない方もいまだ多くいると能登の現状を中橋さんは説明します。

 

糸井もまた、現地でその変化を肌で感じています。「派遣された当初はタイヤが1年持つか心配になるほどガタガタだった道路も、今は随分と改善されました。『元に戻す』という復旧は着実に進んでいると思います。ただ、復興とは前よりもさらに活気を取り戻すことだと定義するならば、ここからが本当の勝負です」と強い想いを語ります

 

そんな復旧・復興の過程で、中橋さんは「復興とは何か」という問いに常に向き合い続けてきました。「復興は『地域づくり』や『地域おこし』とすごく近いなと思ったのです。地域にやる気のある人がいて、それを盛り上げていく。単に元の状態に戻すのではなく、採算性や継続性といったビジネスの視点を取り入れ、新しい仕事を生み出す「創造的復興」を目指すことが、現在の能登にとって重要です」と中橋さんは能登の未来を見据えて語ります。

かつての風景を失った喪失感と、復興を阻む「圧倒的な人手不足」

地元で復興に取り組む現地の声も伺いました。2007年の能登半島地震をきっかけに、「能登の人事部」として若者と地域をつなぐ活動を続けてきた、株式会社御祓川の代表取締役社長・森山奈美さんは、復興の街で暮らす人々が抱える大きな喪失感について語ります。

「復興がじわじわと進む一方で、人々は大きな喪失感を抱えながら生きています。2年経ってから大きめの建物が取り壊されたり、集いの場がなくなったりと、かつての風景や日常が失われたことで、人々の心に少しずつ疲弊が生じているのが現状です」。

株式会社御祓川 森山奈美 さん(左)と糸井(右)
株式会社御祓川 森山奈美 さん(左)と糸井(右)

多くの課題が山積する中で、現場にはそれを解決して復興を進めるための「人」が圧倒的に足りていないと、深刻な人手不足に強い危機感を抱いていました。

森山さんも、真の復興とは単に元に戻すことではないと指摘します。「一部の企業だけが生き残るのではなく、地震や人手不足で手入れされなくなった里山や海を再び人が管理・保全できる状態にし、林業や漁業といった地域の生業が継続的なビジネスとして回っていく『循環するシステム』をアップデートすること」こそが、本当の復興だと語ります。しかし、現場にはやる気のある経営者がいてもプロジェクトを担う人財がおらず、地元の中小企業だけで新たな人財を雇うのは資金面でも極めて高いハードルがあります。「だからこそ、糸井さんのように大手企業から人材が長期で派遣され、被災地の喪失感や痛みに寄り添いながら、現場に入って共に復興を一歩でも前に進めてくれることは、地域にとって確かな希望となっています」。

「いてくれることがありがたい」民間の知見がもたらす変化

行政職員の立場である中橋さんも、民間人材の参画に大きな意義を感じています。「行政はどうしても確実性や公平性を重視するため、スピード感に欠ける部分があります」と指摘。復興においては、行政の福祉的な役割と事業の採算性の両立、いわば「論語と算盤」のバランスが重要であり、だからこそ民間企業のノウハウやビジネス視点が不可欠だと語ります。

中橋さん

中橋さんは、糸井の働きぶりを評価するとともに、企業として長期派遣を決断した中外製薬へも感謝を寄せています。「復興支援として資金を出してくれる企業や短期間の派遣はあっても、1年間も社員を自社から切り離して派遣してくれる企業はなかなかありません。家族と離れ、生活も不自由な環境の中で、能登の復興に本気で向き合い、私たちと同じ想いを持って現場に『いてくれる』。復興活動と日々の激務に追われ、時には絶望しそうになる状況下でも、糸井さんの存在は心強いですし、それに加えて、採算性や継続性といった事業へのビジネス視点や、MRとして培った高いコミュニケーション力で多様な人たちと円滑にやり取りを進めるなど、民間企業ならではの知見や仕事の進め方が現場で非常に役立っていま」と語ります。

一方の糸井もまた、現場で共に働く中橋さんやれんぷくの職員、地元の方々から大きな刺激を受けています。「皆さんから『被災地を助けなければいけない』という強い覚悟と使命感を感じます。それは民間には不足しがちな福祉的な視点であり、自分にとっても大きな気づきとなりました」と語る糸井。さらに、「どんなに優れた能力があっても、気持ちの部分が伴わなければ人はついてこないし、自分自身もやり遂げることはできません」と、現場の最前線で復興に挑む人々の背中から、「熱量と想い」に強く心を突き動かされたといいます。

「超過疎化」の最前線から見えたヘルスケアの課題と、能登の未来に寄せる想い

能登は今、被災地ならではの深刻な課題にも直面しています。「地震の影響で、能登は高齢化が20〜30年進んだと言われています。つまり、高齢化や超過疎化といった『30年後の日本の地方が抱える課題』が、地震によって加速し、今まさに能登の現実として目の前にあるのです」と中橋さんは強い危機感を募らせます。

家やコミュニティが失われたことによるメンタルヘルスに向き合い、予防医療や心のケアが非常に重要だと痛感したと語る糸井。現場でこの現実を目の当たりにしたからこそ、病気が顕在化する前の手当ての重要性と、中外製薬が社会貢献に取り組む真の意義について、力を込めて語ります。

 

「私たち製薬企業の本業は、病気になった方へ医薬品を提供することです。しかし、人々の健康を維持するためには、まず『当たり前の日常の生活をちゃんと送れること』が大前提になります。現場では、家やコミュニティが失われ、仮設住宅などで孤独を抱えることでメンタルヘルスを損なうなど、日常が奪われたことによって心身のバランスを崩していく厳しい現実を目の当たりにしました。

だからこそ、単に薬を届けるだけでなく、被災地で新しい仕事や交流の場を生み出そうとする事業者を支援し、地域の日常を取り戻す。そうして病気が顕在化する一歩手前の『未病』の段階で食い止めることこそが、ヘルスケア企業としての重要な使命だと気づかされました。現場に社員を派遣し、事業計画の策定や圧倒的な人材不足といった課題解決に直接貢献することは、それを実践するための大きな一歩です」

 

一方、中橋さんは、行政職員の立場から官民連携を次のように語ります。

「これからの復興支援において重要になってくるのは、世の中の関心が薄れ、時間が経過したタイミングにどれだけ支援の手が残っているかです。お金を寄付していただくことも本当にありがたいのですが、現場の『人が足りない』という課題に対する実効性のある支援として、社員を派遣してくださった中外製薬さんの決断は、大企業の中でも一歩踏み込んだ社会貢献だと感じています」。

最後に、中橋さんは社会に向けてこう呼びかけます。「能登は今、単に元に戻すのではなく、時代に合わせてあり方を変え、特色ある仕事や豊かな暮らしが生まれる『創造的復興』を目指しています。皆さんには関係人口として長く関わり続けていただき、もう一度来たいと思われるような、新しく元気な能登を一緒につくっていきたいです」
そして糸井もまた、能登での経験を通じて自身の視野が大きく広がり、社会に伝えたい強い想いが生まれたと語ります。

「今までは自分の業務の範囲でしか物事を見られていませんでしたが、のとれんぷくで働く中で、県政や市政といった行政の判断が、地域住民の生活にどれほど直結し、想像以上に大きなインパクトを与えるかを肌で感じました。行政という土台が揺らげば、人々の当たり前の日常も健康も保てません。

だからこそ、能登が直面している課題は、決して遠い被災地だけの話ではないんです。大きな話になりますが、地方の課題を『自分事』として捉えていかないと、いずれ日本の国力そのものの衰退に繋がってしまいます。能登の現状を日本という国全体の未来として捉え、関わり続けていくことが、これからの社会にとってとても重要だと感じています」。

「自分にできることをしたい」という個人の強い使命感と、医薬品の枠を超えて「人々の日常と健康」を支えようとする企業の覚悟。糸井が現場で培った熱量と復興への想いは、次に能登へと赴く新たな派遣社員たちへもしっかりと引き継がれていきます。官と民が互いの強みを持ち寄り、熱量を重ね合わせることで、能登の復興に向け前進していきます。

中橋 竜慶(一般社団法人 能登官民連携復興センター 事業推進部門マネージャー)

2000年に石川県入庁。土木部(住宅・道路関係)、健康福祉部(福祉関係)、総務部(人事関係)と、複数の部局で多用な行政分野を担当。2019年から県民文化スポーツ部で文化関係のグループリーダーとして、文化事業に対する助成業務に携わる。

2024年1月、知事室戦略広報課でSNS・ネット広報担当時に能登半島地震が発生、復興生活再建支援チームで臨時対応にあたった後、国・市町とも連携した災害広報に取り組む。2025年より一般社団法人能登官民連携復興センターに赴任。事業推進部門マネージャーとして復興事業に対する助成業務に携わっている。

中橋 竜慶

糸井 通裕(中外製薬株式会社 スペシャリティマーケティング部)

2016年中外製薬入社。岐阜、愛知でのMRを経て、スペシャリティマーケティング部希少血液疾患Gにて東海・北陸エリアにおける希少疾患領域製品の適正使用推進に尽力。2025年7月より社内派遣制度を通じ「能登官民連携復興センター」へ出向。事業推進部門のメンバーとして、復興助成事業の公募から審査に向けた事業計画の作成支援、採択後の伴走支援まで実務を幅広く担う。MR時代に培った課題解決のノウハウを活かし、被災地の事業者と共に歩みながら、能登の創造的復興に向けて邁進している。

糸井 通裕

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